十二月二十日には、この跡地の民活を実施する「新宿西戸山開発株式会社」が大手不動産会社を中心に五十六社が参加して設立された。
社長に就任した三菱地所の中田乙一会長は翌年一月九日に首相官邸を訪ね、中曽根首相に新会社の設立の経過やその後の計画を報告している。
国有財産を競争入札ではなく随意契約による払い下げにするため、この再開発事業は公共目的の都市計画事業とされ、政府にせつつかれた東京都は都市計画決定をおこなっている。
ここでは、都市計画法は一片の通達で自由自在に規制緩和を強行できるし、異例尽くめの国有財産の払い下げの隠れみのにも利用されうることに注目しておこう。
西戸山で先鞭をつけた中曽根首相は一九八三年十月に内閣に「国有地有効利用推進本部」を設け、自ら本部長に就任する。
同本部は一九八四年二月に第一弾として、大蔵省理財局が全国から選び出した国有地のなかから、人口十万人以上の都市にある百六十三件(合計六十五ヘクタール)と旧国鉄用地十件(合計三十ヘクタール)を民間活力導入による都市改造計画の対象として決定した。
このなかには大手不動産会社だけではなく、いまや不動産企業化した多くの一般企業までが地価上昇システム中曽根のアーバン・ルネッサンス構想のもとで、無から有を生み出す手品を建設省の官僚価格の二・八倍という高値だった。
一九八六年四月一日に発表された同年一月一日付けの公示価格で周辺の地価が落札価格に右なら高騰をみせたため、国有地はバブル時代の地価騰貴の引き金としてマスコミなどから十字砲火をあびることになる。
この払い下げラッシュは周辺の住民や自治体には災難だった。
たとえば、一九八六年十二月一日に入札がおこなわれた林野庁職員宿舎跡地の問題では、この跡地を譲り受けて公共施設をと計画していた港区長が批判の声を上げ、周辺住民は「土地の高騰による固定資産税の急上昇が心配だ」と不安をあからさまにしていた。
入札の結果は、森ビル開発、住友不動産、住友不動産販売、宗教法人の霊友会などの六者連合が総額八百八十二億円(三・三平方メートルあたり約二千五百万円)で落札した。
この価格も公示価格の約二倍だった。
この国有地の払い下げを「どんなに国有地を集めてみても、手に入る土地はたかがしれている」と冷やかな目でながめている官僚たちがいた。
建設省の官僚たちである。
かれらは、桁違いの土地を生み出そうと着々と手を打っていた。
都市計画法のもと、おおむね五年に一度とされている全国一斉の用途地域の見直しだった。
東京都の当時のある試算によると、二十三区だけでも、規制緩和であらたに生み出される床面積の合計は渋谷区の総面積とほぼ同じになるという。
なるほど建設省や大手不動産企業の首脳の間で、国有地の払い下げにたいする期待感や評価が意外に低かったのはここに理由があったのだ。
数ヘクタール、せいぜい数十ヘクタールの国有地がたとえ、数十カ所、数百カ所あっても、用途地域やそれにともなう容積率などの見直しによって生まれる床面積の増大にくらべれば、スケールは桁違いに小さい。
この時の全国的な見直しであらたにひねりだされた建築可能な床面積は、東京は別格としても地で膨大な量にのぼったことは疑いない。
こうしてみてくると、用途地域と容積率を厳格に規制し、業務用ビルの住宅地への侵入や土地投機を防ぐことが、地価対策のうえでも決定的に重要なことがわかる。
ところが、現実にはまったく逆の都市政策をとってきた。
はじめから規制がきわめて緩く、しかも見直しのたびにさらに緩められるという繰り返しだった。
地価が基本的に上昇を続けるシステムが、国策として日本の都市計画に組み込まれているのだ。
ふたたび東京を例にとって検証してみよう。
都市計画法が全面的に改正されて新法として発効したのは一九六八年だったが、さまざまな準備作業をへて新法のもとで容積率を指定したのは一九七三年である。
当初、東京都は容積率の指定にあたって「東京の均衡のとれた発展」を旗印に、「建物床面積と道路交通能力」など、都市施設の需要と供給のバランスをとる方針をとった。
つまり、オフィスなどの増加と道路などの増加が同じ程度に伸びていくように考えたわけだ。
オフィス・ビルが増えても、道路がそれにつれて増えなければ、交通は渋滞し、都市はその機能を果たせなくなる。
一つの合理的な基準だった。
一九七三年当時の東京都の見通しでは、焦点である区部の床面積の総計が一九八五年までに三万ヘクタールになる、つまり当時にくらべ一・八倍になると推計していた。
一方の道路だが、当時計画されていた高速道路や幹線道路が一九八五年までにすべて完成すれば、やはり一・八倍となり均衡するというのが当時の東京都の期待だった。
だが、実際にはおもに不動産業界など経済界の圧力で、床面積に換算すると六万ヘクタールにあたる容積率が指定された。
東京都の予測の実に二倍である。
しかも、東京都は都心や副都心でも最大容積率は八○○%を限度と考えていたのに、実際には一○○○%まで指定し、住宅地域でも高容積率を導入した。
では、一九八五年時点の現実はどうだったか。
建物の床面積の総計は三万三千ヘクタールで予測をやや上回っているだけだが、実際に指定された容積率の半分である。
道路は一・二倍しかふえなかった。
これでは交通が渋滞するのは当然で、道路にかぎらず下水道、ゴミ処理、電気や水の供給など、ほかの都市施設や機能がパンクするのは目に見えている。
ここで注目すべきなのは、東京都が一九七三年当時、面積に換算して六万ヘクタールの容積率を指定したにもかかわらず、現実に使われたのは三万三千ヘクタール分にすぎなかったという事実である。
はじめの指定が過剰だったことは明らかだ。
現実はその後も、用途地域や容積率の相次ぐ緩和で過剰な容積率指定に過剰の指定が重ねられ、中曽根のアーバン・ルネッサンス時代にはじまった一九八○年代後半の見直しでは東京を中心に頂点に達した。
この時代には、さまざまな容積率の割増し制度が乱用といえるほど使われ、また新しい割増し制度が誕生した。
容積率と地価の密接な関係を想起すれば、あの地価の暴騰は当然の結果だったのだ。
しかも、都市計画の見直しが全国的に一斉におこなわれたため、東京の都市再開発ブームと投機に誘発された土地の暴騰は、全国に瞭原の火のように広がる下地は十分にできていたことも忘れてはならない。
一九九二年に改正された都市計画法が一九九三年六月二十五日に施行され、同日、建設省は十指にのぼる通達類を都道府県知事あてに送った。
これらはただちに、県から市町村に伝達された。
全国一斉に用途地域の指定替えが始まる号砲だった。
これらの文書は相変わらず細かいところまで指示しており、自治体の自主的な判断を排除する仕組みになっている。
内容も、あいもかわらぬ規制緩和路線になりそうだ。
たとえば、本書でふれた新たな規制緩和につながる「誘導容積制」の活用を強調している。
また新設の第一種中高層住居専用地域と第二種中高層住居専用地域についても、「原則として、容積率を二○○%に、建蔽率を五○%又は六○%に定めること」とし、鉄道駅の徒歩圏や主要な道路の沿道などでは、「必要な公共施設」が整備されていることを条件にしている。
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